じーちゃんは現在88歳。老人ホームに入居していたが、老衰のため入院中だ。医療措置はせず、点滴のみの対応。今週から看取り退院で老人ホームに戻る予定だ。
お袋から知らせを受け、単身で帰省することにした。本当は家族全員で行きたかったけど、飛行機を使う旅費の準備が難しく、断念せざるを得なかった。
7年ぶりの再会
前回じーちゃんに会ったのは7年前、三男(チビ武士)が生まれたことを報告するために家族みんなで帰省したときだ。そのときすでに痴呆が進み、僕のことを思い出せなかった。正直、とても寂しかった。
じーちゃんは孫全員の誕生日を把握していて、毎年「誕生日おめでとう!がんばれよ」と激励の言葉をくれた。それは社会人になってから数年間続いたが、10年ほど前から痴呆が進み、誕生日の連絡は来なくなってしまった。
じーちゃんとの思い出
僕の両親は共働きだったため、幼い頃はじーちゃんによく預けられ、たくさんの話を聞いた。特に誕生日には「いくつになったか?」と聞かれ、正直に答えると「お前はお母さんのお腹の中にいた日を数えないのか!」と叱られた。じーちゃんはロマンを感じる人で、その言葉が大好きだった。
そのため、じーちゃんに年齢を聞かれると、僕は実年齢に+1歳して答えるようになった。
「じーちゃん、僕〇〇歳になったよ!」
じーちゃんからの誕生日メッセージが来なくなってからは、僕の方から毎年誕生日に「じーちゃん、〇〇歳(+1歳)になったよ!僕、頑張ってるよ」と連絡を入れた。
「じーちゃんはもう覚えられないよー!」と言いながらも、「そーか〇〇歳になったか!おめでとう!がんばれよ!」と、聞きたかったセリフを言ってくれるのが嬉しかった。
迷いと決断
お袋から知らせを受けたとき、正直帰省するか悩んだ。7年前、すでにじーちゃんの中に僕はいなかった。旅費も簡単に捻出できる額じゃないし、今さらお別れの挨拶をしても…とも思っていた。
そんなとき、嫁っちが「今しか会話するチャンスはないよ。亡くなってからじゃ会話できないよ。行っておいで」と背中を押してくれた。
じーちゃんとの面会
面会のとき、僕を思い出してもらえるか不安でいっぱいだった。じーちゃんに思い出してもらえるよう、頭の中でたくさんのエピソードをシミュレーションした。
「じーちゃん!僕来たよ!」と声をかけると、じーちゃんが悩む前に「昔マラソンがんばっていた僕だよ」と伝えた。(学生時代、駅伝部だった僕を応援してくれていた)
すると、じーちゃんは「そーかー来てくれたかー!」と名前を呼んでくれた。
「ありがとー、ありがとー!じーちゃんは100歳まで頑張ったから十分だよ!だから君も頑張れよー」とか細い声で言ってくれた。
僕が知っているじーちゃんだ!
かなりサバを読んでいるけど、じーちゃんなりにゴールを決めて達成したようだ。そして何より、「がんばれよー」のじーちゃん節が聞けたことが本当に嬉しかった。
帰省してよかった
面会時間は20分と限られていたけれど、帰省中は可能な限りじーちゃんとおしゃべりできた。
また、おじさん、おばさん(お袋の兄妹)にも挨拶できたし、お袋と親父のサポートもできた。
なにより、生きているじーちゃんとちゃんとお別れの挨拶ができたことが、自分にとってすごく大切な思い出になった。
葬儀などのセレモニーには参加できないけれど、この経験のほうが何倍も価値があると感じる。
最高の最期
老人ホームに戻ったあとは、介護職のお袋と姉ちゃんが最後まで看てくれる。
今まで頑張ってきたじーちゃんにとっては、最高の最期だと思う。
じーちゃんのように「ありがとう」と言える人生を
じーちゃんの命が尽きるまで、もう少し。
自然なことだけど、やっぱり寂しくて悲しい。
でも、僕もじーちゃんのように、最後は「ありがとう」と言って、言われるような人生を送りたい。
そのために、これからも頑張るよ。
じーちゃん、ありがとう!
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